日本人の心

LA出張も最終日。チームメンバーが先のフライトで帰ってしまったので、夜は1人で、リトル東京に行くことにした。家族には悪いが、もちろん、日本食を食べにいくためである(ごめんなさい)。

食事をするときは、仕事関係は別にして、リーゾナブルな価格で、美味しいものを食べるB級グルメを信条としている。とはいえ、初めて訪れる場所なので、探すのは難しい。そこで、アメリカ版食べログみたいなサイトYelp!を使って、リーゾナブルなすし屋を探してみた。お店の写真と口コミコメントを読んでいると、だいたいイメージが湧くからだ。

当たりをつけていたリトル東京のお店につくと、それなりに人が並んでいる。近くには、空いているすし屋も数件あったが、お腹をこわすのも嫌なので、待つことにした。当り前ではあるが、はやっているお店は、ネタも新鮮な可能性が高い。

15分ほど待つと、順番が回ってきた。1人だったこともあり、入りやすかったようだ。日本のすし屋と同じような店構えで、60歳近い日本人のすし職人が、握っていた。カリフォルニアロールがあることを除けば、アメリカ流に進化?した”エグゾティック”系すし屋とは異なり、ネタも、日本と似たような正統派である。巻物と白身系から入り、あとは適当、トロで閉めるような感じで頼んだが、普通においしかった。

日本の良さげな回転すしやよりも、まし+αというところだろうか?ところが、なんとなく違和感を覚えてしまった。店構えも日本と同じ、すし職人も日本人、出てきたすしもそれなりにまとも。ビールはサッポロ。ただ、著しく何かが違う。

最初は、そのすし職人がもくもくと握っており、顧客としゃべらないのが違和感の原因かと思った。こちらは一人だし、少しくらい会話があってもよさそうだが、すし職人は、その人、1人しかおらず、かなり忙しそうだった。

しかし、日本でも、もくもくと料理をする職人は多くいるし、それが気になったことは一度もなく、それは、原因ではなさそうである。

次に気になったのが、すし職人のすしの出し方である。紙の注文票を確認しながら、間違えないように、機械的に、かつ、無造作においていく。しかも、すし台の上に、頼んだものを一挙に置かれてしまった。変な言い方だが、粗雑な納品業者のような印象だ。

日本であれば、お客の状況をみながら、出すスピードを調整し、心をこめて、そっと差し出す感じがする。その職人は、見た目、日本人ではあるが、「おもてなしの心」というか「心のこめかた」というのが、根本的に異なるような気がした。

アメリカで、B級レストランに行くと、まるで、餌を与えられているような印象をもつことがある。それは、肉食系で、半端ない量があるから。「千と千尋」に出てくる千尋の両親が、ぶたになって、がつがつ食べることを連想させるからだとずっと思っていた。

しかし、違和感の根本にあるものは、「心のこめかた」にあるのではないかと思った。もちろん、アメリカでも高級レストランになるとホスピタリティが高くなるが、日本の場合、B級レストランだろうが、「心をこめる」ということが、文化として根付いていると思う。

「心ない」ものに対して、日本人は、厳しいように思う。もちろん、アメリカを「心ない」と一括りでは、語れないと思うし、日本人の中にも、「心ない人」がいることは、確かだけれど、いろいろな日々の生活の中で、「日本人の心のこめ方」というのは、

文化として、なくしてはいけない大切なもののように改めて思った。ただ、自分が、ストイックで、「心ない仕事」をする人を許せないだけかもしれないけれども。

JinK.

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