娘はサムライのようでもあり

 上の娘は、早いもので、もうすぐ19歳となる。2年半前、高校2年生になるタイミングで家族とともに渡米した。大学受験のことを考えると判断が難しいタイミングでもある。日本の大学を受けるのか、アメリカの大学を受けるのか。日本に残るのか、家族と一緒にアメリカに来るのか。組み合わせで、いくつか選択肢はあるが、彼女は、即答で、アメリカに来て、アメリカの大学を受けることを選択した。理由は、アメリカにいる方が、自分の夢を実現するところに近づけると感じるからだという。

 娘が、自分の夢を公に語ることは少ないが、進路指導など、日本でその話をすると、「大きな夢を持っていて、いいね。でも、今は受験勉強が大事だ。いい大学に入ると機会も広がる。高校は、3年しかないのだから、限られた時間での勝負だ。君の実力ならここが狙える。夢と関係のありそうな学部を選んで受験すればいい。」そういう反応だ。なんか、腹落ち感のない割り切れない感じだ。一方で、アメリカでその話をすると、「それは素晴らしいね。だったら、この人と話した方がいいな。選択科目もこういうのを取った方がいいんじゃないか。それをやりたいんだったら、この大学のこういうところがいいんじゃないか」というような具体的な話になる。もちろん、参考になる場合も、参考にならない場合もあるが、彼女が希望する大学には、ロールモデルのような人もいるし、実ビジネスとのつながりも強い。これは、大きな違いだ。なぜなら、後者の方が、夢への道筋がより具体的に見えてくるからだ。そういう意味では、娘の直感は正しかったように思う。

 ただ、アメリカの教育が良くて、日本の教育が悪いと言っているわけではない。そんなに単純な話でもない。基礎学力、言い方を変えると、足腰を鍛えるには、日本の教育は優れていると思う。僕が、アメリカのMBAでそれほど困らなかったのもそのお陰だし、娘がアメリカでサバイブしているのもそのお陰だと思う。基礎学力を高めるためには、ある程度の反復練習は必要だし、日本の教育を、詰め込みだ、画一的だと完全否定する必要はないと思う。とは言え、やはり、日本の教育に何か大切なものが欠落してしまっているというのは実感としてある。しかもその足りないもののギャップは、社会の変化とともにどんどん大きくなっているように思う。アルゴリズムが組める仕事は、デジタルに置き換わっていくだろうし、人しかできないこと、私しかできない仕事にシフトしていくことは明らかだと思う。人間性の回復、クリエィティブの時代、反復作業という苦役からの解放といういい面もあるが、誰もができる仕事は著しく価値を失っていく、あるいはデジタルに代替され、なくなっていくそういう転換期にある。その転換期を乗り切るための支援システムができているかというと、甚だ疑問だ。そういう時代の子供の教育はどんどん難しくなっていると思う。この教育システムに乗っていた先に何があるのか、不安に思いつつも、他に頼るべき代替手段も少ない。そういう状況だ。インターナショナルスクールに通わせるというのも一つの解なのかもしれないが、娘は、ずっと公立校で通わせたことがないので、僕には正直よく分からない。日本全体のことを考えると、大きな方向感としては、日本の教育の否定から入るのではなく、今ある日本の強みを残しつつ、将来、実社会において、一人一人の能力が活かされるような教育のあり方、社会のあり方に変換していくことが大切なように思う。

 日本に根ざした修行のあり方に守破離がある。型を「守る」ところから修行が始まり、その型を自分に照らし合わせることで、自分に合った、より良いと思われる型をつくり、既存の型を破る。最終的には、技に熟達し、師匠の型、そして自分自身が作り出した型からも自由になり、型から離れて自在になるというものだ。ある意味、日本の教育は、型を守ってやる部分に最適化し、進化した教育システムのようにも思う。この部分については、アメリカの教育はかなりお粗末な感じがする。しかし、日本はその部分だけが進化しすぎてしまって、無用なラットレースのようになっているのではないか?そんな気もする。足腰を鍛えたら、やはり、自分の合った型を見つけたり、さらにそこから進化して自在になる方向に向かいたい。その点、アメリカは、足腰は弱いが、好きから入る。守がなく、いきなり離から始まる感じだ。離を極めようとするうちに、守の部分にかなり個性的な感じで、入ってくるようなイメージかもしれない。個人的には、日本の修行のやり方で、守破離を支援する教育システムがいいのではないかと思う。日本のいいところとアメリカのいいところをいいとこ取りするイメージだ。娘の場合、僕の仕事の都合で、結果的に、高校入学までは、日本流、高校からは、アメリカ流になり、図ったのか図っていないのかは微妙だが、そういうやり方を試した感じにはなっている。吉と出るか凶と出るかは賭けかもしれないが、本人の心がけ次第でもあると思う。

 とはいえ、そういう環境に置かれた本人は、本当に大変だ。英語に加え、16年間日本で育ってきた環境から、アメリカの環境に適応するというのももちろんのこと、学業成績(GPA)、SAT、TOEFLで、好成績が求められる。さらに肝心なのは、自分が専攻したい専門分野で潜在能力があることを見せつけなければならない。しかもホームページやランキングの情報だけでは、本当に行きたい大学かどうかはわからないし、見学したいと思っても、アメリカは広大すぎて、そう簡単に行くこともできない。周りのアメリカ人からは、トップクラスの大学しか、費用対効果が合わない。だから、入るのが難しくなっている。10校〜20校くらい出願して、受かったところを見に行ってきめる方がいいなど、アドバイスを受けるそういう感じだ。ちなみに日本人だからというのは何の足しにもならない。

 これは、彼女にとっての大きな戦いだ。戦略はいろいろとあると思うが、本人は、行きたい学校一校に絞って出願した。いろいろと見てみたけど、ここしか行きたいところがないという。いくつか受けた方がいいのではないかとも言ってみたが、「行きたいと思わないところを受ける意味がわからない」とのことだ。僕も調べてみると、やりたいことが明確であればあるほど、選択肢の幅は狭まる。その大学は、プロフェッショナルを養成する虎の穴みたいなところで、行く価値があると判断し、賛同した。

 結局、その行きたい一校を、受験をした。結果は見事合格。この2年半、道中いろいろな葛藤があったが、最善の形になったのではないかと思う。僕が、「この大学はかなりハードコアで、大変みたいだぞ」とちょっと脅かしてみると、娘は、「アメリカの大変というのがどれくらいか楽しみだな」と微笑み返した。そういう娘の瞳はきらきらと輝いていた。

 僕から言わせると、まだまだ夢に向かったスタート地点に立っただけだけれど、娘の人生にとっては、大きな大きな節目になると思う。合格おめでとう。折れずに、逃げずに、戦い抜いた君を心から誇りに思うよ。そんな娘にサムライを見た。娘からは、それをいうなら、なでしこでしょうと突っ込まれそうではあるが、サムライのほうがなんとなくしっくりしている。

JinK.

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