グローバルで渡り合う英語の磨き方(4)

4.美意識の克服:英語のリズムで英語モードに切り替える

 発音やアクセントのいろはを覚えて、気をつけて話すようになれば、英語は、ましにはなってくる。日本人英語から、英語っぽい英語にはなる。しかし、日本人っぽさというのは、どこか抜けにくい。インドっぽい英語があるように、また、フランスっぽい英語があるように、英語が、かなり上手い日本人でも、やはり日本人っぽい英語というのはある。別に、日本人っぽくてもいいじゃない、通じればという開き直り方はあるかもしれないが、残念ながら、日本人っぽい英語というのは、ちゃんと通じないことが多い。通じないと戦えない。ネーティブのように話すことが目的ではないが、ひとりよがりの英語は避けたいし、ちゃんと通じる、使える英語を目指したい。そのためには、発音・アクセントの矯正は不可欠だと思う。

 ところが、これがなかなかにやっかいである。大体、アクセントを間違えなければ、聞き返される頻度が減ってき、ある程度は通じるようにはなる。発音も気をつければ改善する。うまくなったねと褒められたりもする。日常生活をする上では、ほとんど不便はなくなる。しかし、大分、マシになってきたなとは思うものの、何か、大きな壁にぶつかったような感覚になる。丁々発止に戦えるには不十分だし、何か、突き抜け感を感じない。量を聞けば、英語の聴き取り力も向上してくるので、その分、自分の英語の限界にも気付いてしまう。純ジャパ(純粋な日本人)だから難しいとか、年齢も大分上がってきているから、記憶力や適応力が落ちるし、限界があるというのでは、納得がいかない。何か、そういうことよりも、根本的に邪魔している何かを感じる。その何かが分かれば、その壁を突破する糸口が見つかるのではないか、そんなことを考えていた。

 ひょんなことから、ある一つのことに気付いた。それは西海岸に旅行に行った時のことだ。英語で話していたら、マリオットホテルのマリオットが通じなかったのだ。MERRY-yachtあるいはMERRY-utのように最初にアクセントがあり、最初のマの部分をえとあの中間音で発音する。もちろん言い直せば、通じるし、問題はないので、いつもはそうやって発音を矯正していくのだが、その時は、娘に、「なんで、アメリカ英語は、いちいち、こんな汚いあを言わなきゃいけないんだろうね。面倒くさい。」と愚痴ってしまった。そう言った途端、ふと思ったのは、実は、自分は、英語の発音自体に抵抗感があるのではないかということだった。

 当たり前の話ではあるが、日本語は、「あ・い・う・え・お」という5つの清らかな母音に支配されている言語である。「か・き・く・け・こ」になっても、基本は、「あ・い・う・え・お」に軽くKの子音がつくだけだ。50音というのは、「あ・い・う・え・お」の5つの母音が支配しているといってもいいと思う。意識しているかどうかは別にして、日本人には、清らかな5音という美学があるのではないか。ところが、英語は、訓読みと音読みの2つのA E I O Uの10音があり、長音、単音、組み合わせやR母音まで含めると、数え方にもよるが、全部で15〜20強の母音がある。中でも、日本人にとっては、あとえの中間音は、かなり無理をしないと発音できない言葉だ。中学のときに、英語の授業でえの口の形であと言えとか、カエルのような声であというとか、習ったことを思い出す。5つの清音に慣れた日本人にとっては、「あ・い・う・え・お」から外れることは、汚い母音であり、そこに何か許しがたい抵抗感があるのではないか。特にアメリカ英語は、その傾向が強いのではないかそう思った。

 二つ目の気付きはは、子音である。自分が話す英語を録音したものを聴いていると、今ひとつ聴き取りにくいところがある。どうしてかなと分析してみたら、明らかに子音の発音が弱いというか、柔らかいのだ。英語は、もっと顔の筋肉と口先を使って、破裂音を出したりと、かなり子音を強く使う。一方、日本語の中で、英語のような子音の発声をしていたら、耳障りで仕方がない。日本語と英語で、そもそも子音に対する美学も違うのだ。

 つまり、英語の言葉も、英語だからかっこいいということはなく、日本人の言語の美意識からすると耳障りだから、日本語読みにしてしまうわけであり、日本は、そういうふうに外来語を取り入れてきた。いざ、その型から抜け出て、やれと言われても、実は、根のところでは、恥ずかしいとか、恥であるという感覚があるのではないか。日本語は、清音の5つの母音と柔らかい子音が基本の型であり、そこからはみだすことに対して、抵抗感がある。いろいろ意識して発音を変えようとしても、ある程度はうまくいくものの、どうしてもその染み付いた美意識に引っ張られてしまうというのがあるのではないか、そう思った。

 この壁を破るためには、発音の矯正というアプローチでは限界があるように思う。なぜなら、無意識にある日本語の美意識の枠内で、努力して発音を矯正しようとしているからだ。そもそも発音を矯正しようと考えるアプローチがよろしくない。意識していなくても美意識が邪魔をするし、そこには無理がある。この延長線上では、頭では理解しているし、言い直せば、言えるようになるというようなレベルには到達できるが、日本語の美意識の呪縛からは逃れられず、日本人っぽい英語というものは抜けない。僕にとって、この発見は大きかった。

 その呪縛から逃れるすべは、英語のリズムにあると思う。英語は、表音文字であり、音だけが手がかりの言語なので、ダイナミックにリズムという軸を使わないと伝わりにくい。そこが表意文字を使う日本語と違うところではないか。そのリズムをつくるために、あれだけの母音があったり、強烈な子音があったりするのではないか。そう理解すると、汚いあの発音をしなければならないではなく、英語のリズムを作るところから入れば、実は、汚いあというのは必然だったりし、リズムという視点から見たら、汚いものではなく実は、力強く、かっこいあだったりする。同じように耳障りの子音というのも、リズムから入ると、エッジの効いた役割を果たすものだったりする。そう考えなおした途端に、アプローチの仕方も代わり、リズムにのって、英語の母音が無理なくのり、子音が効いた感じで、話せるようになってきた。何か英語を話すのが楽しくなる感覚だ。まだまだ修行の途中ではあるが、僕にとっては、大きな壁を一つ超えられる手応えを得た。

 日本人だから、英語が下手で、壁があると思うとコンプレックスになるが、日本人には日本語の美学があり、それを無意識に大切にしている。その美学と違う英語にも英語の美学があり、リズムを切り口に、日本語の美学から離れ、英語モードに切り替える、そう考えると、僕の中でのもやもや感はなくなっていた。

 ちなみにうちの娘達は、こんな七面倒臭いことも考えずに、英語のリズムから英語をマスターしてしまうわけではあるが、まだまだ、英語の戦闘力では上だからよしとしよう。

今回は、気付きの説明だったので、次回は、最近、これは、効果があるなと、かなりはまって実践している具体的なやり方を紹介したいと思う。

(写真はWikipediaより)

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