書評 Peak: Secrets from the New Science of Expertise
世の中には、驚異的な能力を持つ人がいる。
最近の例で言えば、4回転ループを世界で初めて成功させた羽生結弦、日米通算世界一の安打数を誇るイチロー、あるいは、20ヵ国語を操る青年ティム・ドナー。歴史的な例で言えば、1960年に、ブラインド(目隠し)チェスで、盤を見ずに56人と同時対戦し、50勝6分という凄まじい戦績を残したベルギー生まれのコルタノフスキー。映画では、例えば、レインマン、驚異的な記憶力、速算力を持つダスティン・ホフマン演じるレイモンド。もっと身近なところでいえば、パソコンの画面にランダムに表示される数字を数秒のうちに瞬時に足し上げるフラッシュ暗算をする子どもたち。ギネスブックを見れば、それ自体に価値があるかどうかは別にして、もっと様々な種類の誰にも真似出来ないような驚異的な能力を持つ人を見つけることが出来るだろう。
何が驚異的な能力を生み出す決め手になるのか?
それは、天賦の才によるものなのか、鍛錬の賜物か?どうすれば、それを手に入れることができるのか?それが、本書が答えようとしている問いである。
まぁ、答えは、「天賦の才と鍛錬の両方でしょ」という声が聞こえてきそうであるが、その答え方によっては、大きな違いが生まれる。言い方を変えると、「努力は大切であるが、所詮、どんなに努力しても、最終的には、生まれ持った才能が、突き抜けた驚異的な能力を生み出す決め手になる」と答えるのか、あるいは、「生まれ持った才能は、何かを始めるきっかけや、モチベーションの維持には重要であるが、想像を絶するたゆまない鍛錬が驚異的な能力を生み出す決め手である」と答えるのか?どちらのスタンスをとるかで、育成のアプローチが異なってくる。前者は、驚異的な能力は、最終的には選ばれし者だけが持てるという思想であり、後者は、誰でも、驚異的な能力をもつことができるという思想である。
天才的な能力に切り込んだ本としては、マルコム・グラッドウェル「天才!l成功する人々の法則」がある。その中で紹介されている1万時間の法則、つまり、何かの分野で突き抜けるには、1万時間の練習量が必要であるという法則、が有名だ。1万時間と言えば、一日3時間、休みかかさず、続けたとして、9〜10年かかる計算だ。小学低学年で野球を始めて、高校卒業をしてプロ野球で活躍するとような例をみると、そんな感じかとも思う。しかし、この法則にも疑問が残る。1万時間投下すれば、驚異的な能力を必ず得ることが出来るのかという点である。仮に1万時間、訓練を積んだとしても驚異的に伸びる人もいれば壁にぶつかって伸びが限定的な人もいるだろう。だとすれば、努力は大事だが、やはり天賦の才がなければ、突き抜けた驚異的な能力は得られないのではないかという疑問である。本書は、そういう疑問に、正面から切り込んだものである。
著者は、フロリダ州立大学のアンダース・エリクソン心理学・脳科学教授とサイエンスライターであるロバート・プールのタグチームであり、専門的な研究が読みやすく書かれている。音楽、チェス、スポーツ、医療など専門的な分野で突出した能力を示す専門家を研究対象としており、10年以上の研究・実験に基づき、5年以上の歳月をかけて執筆した力作である。
そんな彼らが出した答えとは?
確かに、体格や年齢が大きく影響する分野がある。例えば、スポーツや音楽の分野がそうだ。リレーや、フルマラソンなど、チーム連携や持久力などの要素がある部分では日本人に勝機はあるかもしれないが、100メートル短距離走のような分野では、ウサイン・ボルトのようなランナーに体格の劣る日本人が勝つのは容易ではないだろう。絶対音感を身につけるのも、小さいころでないと難しい。
しかし、多くの分野において、突出した能力は、意図をもった正しい鍛錬(Deliberate Practice)の賜であり、天賦の才は、絶対的な決定要因ではないというのが彼らの主張だ。ある特定の分野に特化した脳、彼らは、Mental representation (心的表象)という言葉を使っているが、あるパフォーマンスを上げるために必要な、こういう場合はこうするとできるというプロセスごとに緻密に構築されたメンタルモデル、実践の司令塔となるメンタルモデルを作ることが鍵であると説く。メンタルモデルは、パソコンに例えると、OSやアプリケーションと言ってもいいと思う。しかも、メンタルモデルは、進化のスピードは異なるにせよ、年齢にかかわらず、構築することができるという。
その主張を証明するために、無作為に抽出した平均的な人で実験したり、各専門分野で、力量の異なるグループを比較研究したり、MRIで、専門家の脳の違いや訓練による脳の変化を測定した様々な結果を引用している。
例えば、学生の中から、学業面で平均的な学生を選び、1秒毎に読み上げられるランダムな数字を記憶するという実験がある。毎日、短い実験が行われるのであるが、7桁〜8桁くらいまでは、比較的容易に覚えることができる。しかし、そこに少し壁があり、それを超えると20桁くらいまでは行ける。ところがそこにまた越えられない壁が出てくる。短期記憶の限界である。しかし、4つずつの塊で覚えていくなどの記憶手法を生み出すことができれば、その壁は突破できる。最初の学生は、200回のレッスンで、いくつかの手法を組み合わせ、81桁まで諳んじることができた。2人目の学生は、1人目の学生が、81桁まで覚えられた人がいたという事実のみが与えられ、何のやり方も教えられないまま実験をしたところ、最初は順調だったが、20桁のところで躓いてしまった。残念なことであるが、彼女は、私には才能がないと落胆していまい、途中で、ドロップアウトするとうい結果となってしまった。3人目の学生は、1人目の学生がコーチとしてつき、やり方をアドバイスするという方法をとった。すると1人目の学生のときよりも、当初は、覚えられる桁数が伸びるスピードが速く、20桁を超え、ある桁数までは速いペースで伸ばすことができた。しかし、1人目が教えてくれたやり方では、それ以上先に進めず、膠着したが、試行錯誤の結果、自分なりのやり方を見出し、最終的には100桁を超えるレベルまで記録を伸ばすことができた。もちろん2人とも自分にそういう能力があるとは思っておらず、自分の隠された才能に驚いていた。適切なガイダンスと意図的かつ正しい鍛錬があれば、特別でない普通の人が、能力を著しく伸ばすことができるという証左である。
バイオリンを学ぶ大学生の調査結果もある。将来プロフェッショナルな演奏家になると評価されているトップクラスの学生、トップクラスではないが高いレベルの能力を持つ優等生、もちろんバイオリンは弾けるが、どこにでもいそうな普通レベルの学生の3グループに分け、比較調査している。彼らが発見した最大の違いは、練習時間量、特に独習(一人での訓練)量の圧倒的な差と、指導者の有無及び指導者のレベルの違いであることがわかった。つまり、指導者は壁にぶつかったときに、どうやってその壁を乗り越えるのかというやり方のヒントを与えてくれる、それを繰り返し独習により、我がやり方を見出し、我がものとする。そういうことだと思う。独習が重要になるのは、個々によって課題やぶつかる壁が異なるからだ。
更に、彼らは、IQの高さが、チェス等専門分野で秀でるのにどれくらい影響があるのかということも調べている。面白かったのは、IQの高さは、学びの最初の部分には大きな影響を及ぼし、IQの高い人は、立ち上がりが速いが、技能として秀でいている専門家のグループを調べてみると、最終的には、IQと技能レベルには相関がないというのがわかった。愚直に真摯に課題に向かって、意図的な鍛錬を継続することのほうが大切で、IQが高くない人のほうが、自分はできないという意識も強く、素直に努力する傾向にある、一方、IQの高い人は、最初の要領はいいかもしれないが、できない自分を認められず、結果として、努力が続かず、IQの高い人の初期のアドバンテージは、長い目ではなくなってしまうということかもしれない。
ロンドンのタクシー運転手のMRIの診断結果もある。ロンドンのタクシー試験は世界で最も難しい試験とも呼ばれているが、彼らは、ロンドンのあらゆる通りと一方通行などの道路情報を覚えているだけでなく、どこにどういう建物やお店があるかということもすべて覚えており、漠然と行きたい場所を伝えるだけで、どういう経路で行けばいいのかという最適経路を瞬時に組み立てることができ、連れて行ってくれるらしい。MRIで、試験準備を始める前の受験者と、試験対策をして、合格したドライバーの脳を解析すると、脳の海馬体のところが物理的に増大していることがわかり、脳自体が変化することがわかった。また、地図情報を記憶する力は著しく高いが、他の事柄を記憶する力は、そうでない人とくらべて大きな相違がないことも分かっている。
はたまた、プロのチェスプレイヤーがチェスの対戦棋譜を鮮明に覚えているのはなぜか?ということを検証した実験結果もある。それは、瞬時に映像として記憶するフォトグラフィックメモリーによるものなのか、それとも対局という意味のあるものとして記憶しているのか?という興味深い問いだ。これは、ランダムに、意味もなく並べたチェスの譜面と、ある戦局から選んだ譜面を記憶するという実験をおこなった。結果としては、ランダムな譜面では、専門家と一般人での違いは見られないのに対し、戦局から選んだ譜面では、大きな違いがみられた。つまり、対戦棋譜を覚えているのは、フォトグラフィックメモリーによるものではなく、譜面を意味づけして記憶するメンタルモデルにあるというのが彼らの答えである。
そういうメンタルモデル、あるいは実践力を生み出す司令脳を鍛えるためには、意図的な鍛錬(Deliberate Practice)が決め手となると主張する。意図的な鍛錬とは、明確に定義された達成目標が有り、それに至るために乗り越えなければならない壁が明確に意識されている。その壁を打ち破るために集中特訓を行う。どう改善していけば、壁を突破できるのかというヒントを得られるフィードバックがある。心地よいレベル、つまり定常状態で満足せず、そこから辛いレベルに踏み出し続けることである、と定義している。意図的な鍛錬を実行するためには、それを極めたい、勝ちたいというパッションが重要ではあるが、意志の強さの問題というよりも、適切な気付きを与えてくれる師の存在、モチベーションを保つ仕組みや習慣付けが鍵となる。
もちろん、意図的な鍛錬を継続できる力、努力する力も才能のうちという考え方もあるかもしれないが、驚異的な能力は、誰もがアクセス可能なものである、しかも年齢にかかわらず、脳は進化させることができるということは、大きな励みになる。人間の能力を、現在とは、全く異なる次元で引き出せるとすれば、人類の未来、日本の未来、個々人の未来も明るくなるのではないかと思う。
彼らは、現在、知識偏重の教育法から、意図的な鍛錬を盛り込んだ使うスキルを磨く教育法の実験も進めており、算数や数学、物理学の授業などで成果を上げ始めている。その志に、共鳴するとともに、このあたりに、教育改革のヒントがあるように思う。
そろそろ50の手習いみたいな感じではあるし、いい師を見つけるのはちょっと難しそうであるが、何か自分を実験台に試してみようかな。
JinK.